2011年8月19日金曜日

競争心

昔のことを思い出していたら、あれこれ恥ずかしい状態も思い出した。

私は相当な傲慢で、今もその慢がでないように注意しなければいけない。
子供の時ほどそれは酷いもんで、とにかく傲慢
自分が一番、もう常に勝っていないと気に入らない。
なにをそんなに威張っていたのか?! 今となっては謎だーー 

とにかく負けず嫌い、一番でなければ気に入らない。
で、いつしかその競争心が消えていた。
今はまったく消えて、大丈夫なのか?というくらい。
そもそも人との比較するということがわからない。
自分がどう思うかが大事なので、人にどう思われるというところに重きがない。

人に褒められたい、認められたい、人より優位に立ちたい、うらやましがられたい…
そんな感情は普通はあるらしいが…
賢者に褒められたいというのはある。でも他の人からどう思われても別にねぇ。

まずは自分がどう思うか、自分が自分を認められるか、自分が納得できるか、そんなところが私にとって重要、気になるところだからね。

でもこういういことを言っても、たいていは、「でもね、そうはいっても…」って答えが返ってくる。
そして人の評判ばかり気になって、自分の気持ちはどこへやら。
そのうち、ゆがみが生じてくるようだ。だって、自分の気持ちをおさえこんでいるんだものね。

自分がどうしたいかというよりも、人にうらやましがられるにはどうするか、人より優れるにはどうするか、誰々より優位に立つのはどうするか、なんてことばかりになっちゃうんだものね。
本当に、みんな大変だ。

そんなこと止めましょうよ。自分は自分じゃんねぇ~

私が競争心を失ったのはどうしてか?って気づいたのは3年くらい前だ。
大阪の小学校に転校して、そこが通知表のない学校だった。徒競走はみんなで走るところ。順位はつけない。卒業式とか総代とかもない。みんなでクラスごとに 別れの言葉みたいなのをいう。
通知表がないから、やってもやらなくても同じ。サボっても一生懸命やっても同じ。
テストの点が良くても悪くても同じ。
そんなところに4年間いたら、すっかり競争心がそがれてしまったようだ。

ろくでもない学校だ、くだらない学校だと当時は思っていたが、今考えたら、あー そのおかげで私の傲慢な鼻がへし折られ、っていうか、意味を成さなくなって競争心もなくなって、結果的によかったなぁ~と感謝の気持ちしかないよ。


まぁこれは私の場合だけど、その時ははぁ?なにこれ??って思ったことでも、
あとから考えたらよい結果をもたらしていることが、人それぞれにあるのかもしれないねぇ。
つらい経験もそうだ。

つらいこと、災難にでくわすと、なんで私だけが…と暗くなりがちだけど
それを自分の心の成長のチャンスとみたら、なんともありがたいことか。
経験をつめば、ステップアップ、魂が成長するんだよ。こんなステキなことはないじゃんねぇ。

どうしようもない嫌なやつが現れた時も、くそぉ!消えろゴラァ!と思うよりも
あー これはなんのレッスンか?これこれこういうことかな、ってわかって成長できたらラッキー
それに、そのレッスンをクリアした瞬間にその嫌な存在は目の前から消える。

よく、職場に嫌なやつがいて、そして部署をかえたり、会社をかえたりしても、また同じように嫌なやつがいたりする。 どこにいっても同じシチュエーションになってしまう、ということはないだろうか。
レッスンを消化しないかぎり何度も何度もやってくる。
消化した瞬間、もうそれは終わり。

でもまた次のレッスンがくるんだよねー そして学ぶ。そして成長していく。
その繰り返し。
どんどん各人のレベルに合わせてレッスンがやってくるから、それを嫌なことだと思わずに
あー昇進試験かな?などと思いつつ楽しくこなすと気分的に違うんじゃないかなー

あー私ばっかり、どうせ私は不幸だ、私なんて云々、自己憐憫炸裂、ネガティブになるとどんどん堕ちちゃうよ。
明るく生きましょうよ。

ちょっとしたこだわり、こうじゃなきゃ、こうあるべき、っていうなにかを外した瞬間に楽になる。
競争して一番になる! 誰よりも優れた人になる! いつも優位に立たなければならない、なーんて無意味だよ。
それに上には上がいーーーっぱいいて、一番って無理だし~

人の評価を気にして一生懸命生きるよりも、自分が満足すること、自分が充足することに集中したほうが楽しいと思うな~

でもまぁそれも一人一人の選択。自由だよね。
でもさー 楽しく思い描く世界に行くんだから、本当に自分が望む世界、自分が満足できる楽しい世界に行ったほうが良いよねー



生きとし生けるものがしあわせでありますように




0 件のコメント: