世の中、自分を嫌いな人、自分自身を愛せない人が多いらしい
自分が本当は何を望んでいるかがわからなかったり。
いろいろな原因があってそういう心理状態になってしまって、もう小さいころから何十年もそういった感覚、自分の気持ちを封印したり、感じないふりをしたり…
面倒くさい環境だと、あーなにも感じなければ平気だ、という風になることもあるだろう。
とても嫌なことが続いたときに、感じなくなってしまう。そこの嫌だなーという回路を断ち切り
感じなくなって、本当はものすごく嫌なのに、心がNOと言っているのに、感じない、封印して平気なつもりになる。
あまりの辛さ故、そうすることしかなかった。
でも、いつまでもそうだと大変だよね。自分が何を感じているのかわからなくなるから、自己充足とかもできなくなっちゃう。
私も小さい頃は 家庭環境はぼろぼろ、自分自身は神経質だし外観とかも不満まかりで自分が嫌でたまらなかったけれど、小学2年生の時にいきなりふっきれた。
それからはもう自分が嫌だとかは思ったことはない。 もちろん、嫌な奴だと思われたことは数多くあるけどぉ~。 こんなやつに負けたら自殺するとか影口たたかれたこともある。どうぞどうぞ、勝手に死んでくださいよ、と思っただけだったなぁ。今思うと気の毒な人だったね。当時は人に対して今以上に慈しみの心なんかないから、じゃぁ死ねばーって思った。
いつふっきれるかは、その人次第だと思うけれど、確かなことは急にやってくると思うよ。
いきなりふっきれる。あれ?なんでこんなこと思ってたのか?!って。
今、本来の自分、ありのままの自分がでてくる時期にあるらしい。
嘘がつけないというのもそういうこと。
ここはひとつ、一歩飛び出すというタイミングなのかもしれない。
自分が好きになれないと、自己充足できないよ。
環境は関係ない。どんな状況にいても、自分の心がしっかりしていればどったことないよね~
いきなりは難しいかもしれないけれど、少しずつ自分のことを好きになってみては?
ある100の仕事があったとして、そのうちできたのは30くらいだったとする。
そこで、あー 私ってダメだぁ 30しかできなかった とは思わずに
おぉー すげー 30もできたじゃん、どうよ自分~!
じゃぁ次はもっとできるようにしよう~と 思えば良いんじゃないのかな。
簡単だよ。
人の評価はその人によって違うから気にしない。自分が自分を評価する。
人がどういおう時にしない。
自分が嫌いって言っている人は、まじめで厳しい人ばかり。
テキトーでいいんだよ。
世の中の殆どのことは どったことない。
自分が思っているほど重要なことなんか殆どない、ってことに気づけば あーーら楽ちんちん~
怠けるとか手を抜くってこととは違うよ。
ありのままに生きる、というのは、自分の好き勝手に生きるということではない。
そこは正しい行動、正しい考えをするというのが根底にある。
自分のしたことは返ってくる。良いことも悪いことも。
非常に単純な話だ。それがわかれば、悪いことはできないなーって誰でもわかること。
まぁ悪いことして一時的な快楽を求めて、それでイタイレッスンがくるということを
実体験したいのなら、それはそれでひとつの選択だからかまわないけど。
自分が望む世界にこれから移行する。
だから自分がなにをどうしたいのかちゃんと見極めて、それが愛に基づいているものか考えて
まずは自分を愛して自分と繋がって自己充足して、内側から愛があふれてきたら
全てのものに感謝できるようになって… そうするともう間違えようがないよねー
そこを目指すと良いんじゃないのかな~
愛ってなんだよ?ってワケワカメな人もいるかもしれないけれど
自分がうれしい時、感動した時、花を見たとき、子犬や子猫を抱っこしたとき、
なーんか自分の心安らぐ瞬間を思い出して欲しい。
なんか胸がジーンとしない?ハートパッツンパッツン その感覚
その感覚を感じて、思い出して、それに包まれるイメージ。
ぐずぐず嫉妬したり恨みつらみ、怒りのキモチでいるよりもキモチ良いんじゃないのかなぁ?
まぁ嫉妬や怨念のほうが良いという人はそちらを選んでください。それも仕方ないね。
なにごとも自分次第、他人がどうこうできるものではないからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿